2018/12/18

東京駅復原工事に思う

 12月12日、日本技術士会建設部会主催による「東京駅の変遷」をテーマとする講演会を拝聴しましたので、少し感想を述べさせていただきます。

 講演者は、次期土木学会会長(JR東日本OB、鉄建建設㈱代表取締役会長)の林康雄氏でした。2012年に完成した「東京駅保存・復原工事」にJR東日本時代から携わっていらっしゃった方で、内輪話も含めて興味のある話を聞くことができました。

 東京駅丸の内駅舎は、明治時代から複数の「お雇い外国人」にデザインを依頼したようですが、結局、イギリス留学の経験を持つ、ジョサイア・コンドルの弟子でもあった辰野金吾氏に設計を依頼したとのことでした。それぞれ当時のデザイン画を映像で拝見することができました。

辰野のデザインも3次案を経て現在の姿になったとのことですが、一般的にオランダ風と言われているらしいですが、イギリスに留学していたこともあり、イギリスのクイーン・アン様式をアレンジしたものではないかと言われています。辰野自身は、「ルネサンス様式」といっているらしいですが、ビクトリアン様式やルネサンス様式、ある部分にはバロック風の装飾など中近世ヨーロッパのいくつかの建築様式を自在に取り入れたようで、いわゆる「辰野式フリー・クラシック」と言っている人もいるようです。

東京駅丸の内駅舎は、1914年(大正3年)に創建され、その堂々たる姿で多くの人々に愛されてきましたが、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失し、戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎(木造)に復興し、60年以上も、仮設建築物の形で存在したことになります。

今回の「保存・復原工事」では、鉄骨煉瓦造として外観を創建時の姿に忠実に再現するとともに、地下階を新設し、機能の拡大を図っています。そして、大震災にも耐えうるため、「免震工法」を採用しています。

東京駅丸の内駅舎-2行幸通りから東京駅丸の内駅舎を見る

 しかし、復原工事の工事費を捻出するため、余った容積(丸の内駅舎の4倍近く)を活用することを考え出しました。それが、特例容積率適用区域制度(現在は、特例容積率適用地区制度)の法制化です。そこで、余った容積の大半を売却し、4~5百億円のお金を得たのではないかとのことでした。その容積は、すぐ傍の「丸の内パークビル」、「新丸の内ビル」、「東京ビル」、「JPタワー」、「八重洲開発ビル(八重洲駅ビル)2棟」に移転され、超高層ビルが東京駅を取り囲むように建てられました。

 以前、丸の内界隈は、31mの高さ制限が規定されていましたが、それも解除されたうえ、国の重要文化財でもある「東京駅丸の内駅舎」の容積が周辺に移転されたことから、「丸の内駅舎」は、どこから見ても超高層ビルを背に負うようになりました。すべてにおいて、経済最優先の施策から脱却しない限り、日本の歴史的建築物は、遺跡になってしまいます。東京駅丸の内駅舎は、多くの乗降客に利用されているからまだ救われますが、そうでない建築物が数多あります。また、歴史的建築物の外壁の一部だけが、新築の超高層ビルの外壁に貼りついたようなビルもよく見かけますが、これは、丸の内駅舎と比べても残念な限りです。

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