2018/03/19

鎌倉北条氏の足跡を訪ねて

鎌倉北条氏 ― その盛衰の道を歩く ―

 鎌倉は、私の大好きな都市の一つです。丘陵地と海に挟まれて、平地こそ狭いですが、落ち着いた古都の風情が今もなお感じられます。イミテーションではなく無垢の板壁のモダンな住宅や数寄屋造りの和風建築など、目に留まる木造住宅が、そこかしこに点在しているのも好きな理由の一つです。

 今回は、そういう建物を横目で見ながら、元高校教師の講師の方の説明を聞きつつ、小さな旅をしてきました。このイベントは、WELBOX主催の「北条氏政権の時代を歩く」「鎌倉北条氏100年―その盛衰を歩く―」というものでした。

 全行程は、次のとおり、約5kmの旅でした。
①妙本寺(みょうほんじ)⇒②蛇苦止明神社(じゃくしみょうじんじゃ)⇒③琴弾橋(ことひきばし)⇒④宇都宮辻子幕府跡(宇都宮稲荷)・若宮王路幕府跡⇒⑤峯本ビル遺跡展示場⇒⑥今宮(いまみや)⇒⑦宝戒寺(ほうかいじ)⇒⑧東勝寺(とうしょうじ)⇒腹切りやぐら

20180318 宝戒寺
『宝戒寺』

講師の方の説明を聞いて、特に勉強になったことは、
●何故、関東武士は、源頼朝を担いで、平家と戦ったのか?
⇒関東の武士は、律令制度の元、長年の京都の圧制から逃れたく、 また、流されてきた頼朝が信用できると判断したため
 (この時代、政権が取れる武士(公家)は、源氏平家・藤原の3氏であった。)

●何故、北条氏は、源氏を裏切ったのか?
⇒結局、源氏も京都の武士(公家)であり、関東武士は、自分達をを守るため、 北条氏を代表に押し上げる必要に迫られたのであって、単なる北条氏 によるクーデターではなかった。それが証拠に、鎌倉幕府は、源氏50年 に対して、北条氏1は00年と長きに亘り、立派な執権も排出していた。

 多くの歴史がそうであるように、時の権力者によって歴史は書き変えられることが多く、世論も、面白おかしく歪曲してしまうのが、世の常です。北条氏のイメージが良くないのも、多分にその影響からだと思われます。民主主義の現代であっても、公文書がいとも簡単に書き変えられます。科学は進歩しても、人間は、どうやら進歩できない動物ということのようです。

 鶴岡八幡宮にある池で、珍しく「白鳩の群れ」を見ました。
20180318 鶴岡八幡宮白鳩

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