2014/12/31

私のマンション履歴 中野編(11)

<好条件で売買契約成立> 

 大倉山のマンションの売買契約は停止条件付で、中野のマンションが売却できない場合は解約されることになっていました。その点は安心だったのですが、何としても早く売って早く安心したいという気持ちが段々強くなっていました。

 前にも書きましたが、私たち夫婦は、以前は内装デザインの仕事をしており、中野のマンションでは、ドイツ製のシンプルなシステム家具を間仕切りに使ったり、自分で言うのもおこがましいですが、結構センスの良いインテリアでした。それでも、少しでもなお良く見せようと、さらに美化に努めました。

 マンションの売却ははじめてのことでしたので、「買い手が見つかるだろうか?いくらで売れるだろうか?」などと不安で一杯でした。勿論、次のマンションの販売代理店のTL社(売主(T社)のグループ企業)に仲介を一任しました。

 平成3年3月にTL社と※専任媒介契約を締結し、担当者と条件について話し合いました。私たちは、知り合いの不動産関係の人やいろいろな方のアドバイスを参考に、自慢のインテリアも加味して、自分たちで査定した金額(購入価格の3倍近い額→10年で3倍弱!)を提示しました。
※専任媒介契約:当ブログ内専門用語「専任媒介契約」を参照してください。

 ところが、担当者はちょっとビックリした様子で、「少し高いのでは?下げた方が良いのでは?」と難色を示しましたが、少しくらい(リフォーム費程度)の値引きは覚悟の上で、その価額でお願いしました。

 なんと、一ヶ月も経たないうちに買い手が現れました。我が家(部屋)を一目見るなり、その綺麗さがすっかり気に入ってしまったとのことで、トントン拍子に契約が成立しました。買われた方は、地方のお医者さん親子(息子さんは東京在住)で、私たちの言い値で承諾し、一円の値引きも要求してきませんでした。TL社の担当者も大いにビックリしていました。

 ただし、一つだけ条件を付けてきました。それは、大倉山のマンションが完成する平成3年12月に引き渡す予定にしていましたが、半年ほど早い6月に空け渡してほしいというものでした。私たちは、このチャンスはまたとないと考え、快く承諾しました。当時の銀行の金利は高かったので、売却代金の金利で、半年ほどの仮住まいの家賃は十分賄えると試算したからでした。

2014/12/30

私のマンション履歴 仮住まい編(12)

<大忙しで引っ越し>

 中野のマンションの売却があまりにも順調過ぎて、嬉しい悲鳴でしたが、2カ月足らずで引っ越ししなければなりませんでした。この際、横浜の空気に慣れ親しむのも良いと思い、また、契約した大倉山の工事現場をときどき見学したいこともあって、大倉山駅近郊のアパートを探しました。

 最初の物件は、鶴見川沿いのアパートでしたが、近くに2~3棟ラブホテルがあり環境があまり良くなかったので、キャンセルしました。しかし、時間がどんどんなくなってきたので、休みの日は勿論、平日も、二人でアパート探しに奔走しました。やっとのことで、菊名駅(大倉山駅隣り)から20分ほど坂道を登ったところに賃貸マンションがあり、少し駅から遠いのが難点でしたが、建物が比較的新しかったので決めました。

 仮住まいが決まったら、すぐに引っ越しです。半年後には、また、引っ越ししなければならないので、システム家具などは組立てず、とにかく半年間生活できるだけの荷物を解いて、後は、2DKのマンションの1部屋を使って山積みにしていました。備え付けエアコンのドレーン(排水管)が逆流してきたときでも、管理人さんに部屋を見られないように自分で修理しました。

 引っ越した当初、飲み会で遅くなり、今までと同じ時間に店を出ると途中の元住吉駅までしか帰れず、しかも、元住吉からタクシーを拾うのに大変苦労しました。それからは、終電に間に合うように帰りましたが、菊名駅からの坂道は酔った身体にはこたえました。

 それでも、休みの日には、二人で峠越えをして、30分ほど歩いて大倉山の工事現場を見に行きました。ヘルメットを借りて現場内を何回か見せてもらい、現場の整理整頓をするよう注意を促したりしました。汚い現場は一般的に工事の出来が良くないからです。(これは真実です!)

 平成3年12月になって、内覧会が開催されました。私たちは、ほぼ一日かけてチェックし、50項目近くの手直しを指示しました。これだけの時間をかけてこれだけの項目を指摘したのは、私たちだけのようでした。現場の所長とは、現場視察のときから顔なじみになっていましたので、スムーズに手直しは行われました。(この所長とは、10数年後に実施した大規模修繕のときにも現場に来てもらい、施工時の仕様や改修方法をアドバイスしてもらっています。)

 半年が過ぎ、やっと仮住まいから解放されるときが来ました。とにかく、壁紙など一切汚さないよう入居時よりもきれいにして返したので、敷金は全額戻ってきました。私たちは、身のまわりのものを梱包して、意気揚々と大倉山に引っ越ししたのです。

2014/12/29

私のマンション履歴 大倉山編(13)

<大倉山に引っ越し>

 私たちは、平成3年12月の年の瀬に、半年間の仮住まいを終えて、大倉山の新築マンションに引っ越してきました。年が明けてから引っ越してきた部屋も多く、全戸の明かりが点くまでしばらく時間がかかりました。私は、中野の苦い教訓から「管理は人任せにしない。」と心に決めていたので、自ら名乗りを上げて理事長に就任しました。各階から一人ずつ理事と監事を選任して、5人体制の理事会が発足しました。新マンションの管理組合が活動を開始したのです。

 先ず、私(理事長)は、専有部分は各区分所有者が検査しますが、共用部分は売主まかせで、管理組合として検査していませんので、不具合や瑕疵など共用部分のアフター対応を行いました。例えば、緊急避難用扉の施錠部への解除防止カバーの取り付け、駐輪場建具の施錠部分の改良工事、側溝のグレーティング(蓋)の受け金物の設置など、販売会社と交渉をして改修させました。その他、規約に書かれていないマンション独自のルールを定めたり、各区分所有者が権利と義務を平等に果たすよう理事の輪番制を定めました。(勿論、総会決議を経ています。)

 一番重かったのは、1階の区分所有者が、「半年後に完成した隣接マンション側から侵入される恐れがある。」と訴えて来たことでした。販売会社との交渉を管理会社にさせていましたが、なかなか対応しないことに業を煮やして、販売会社の本社まで押しかけ、感知器を直ちに設置するよう担当部長に直談判したことです。

 また、入居時の手直し工事のトラブルから、販売会社(T社)グループ企業に腹を立てた区分所有者が、管理費を数か月払わないという問題が起きました。直接、私が出向いて、「管理費は、我々管理組合が管理会社(TK社、T社グループ企業)に委託して、区分所有者の皆さんから徴収している我々管理組合のお金であることを説明しました。たとえ管理会社がT社グループ企業であっても、管理費については販売会社とは無関係なので誤解しないように!」といさめました。当時、管理費は管理会社の口座に振り込んでいたので誤解したようでした。(現在は管理組合の口座に振込んでいます。)その後、直ぐに入金があり、以来23年間、当マンションは管理費の未納は一円たりともありません。

 区分所有者の多くは、建築がわからないからとマンション管理を人任せにしがちです。また、管理会社が全てやってくれるものと勘違いしている人や、ホテル住まいと混同しているのでないかとさえ思う人がいます。しかし、自分たちの資産は自分たちで知恵を出し合って守っていかない限り、誰もしてくれないのです。このことを、折に触れ、総会などでも話をするようにしていますが、所有者が入れ替わる部屋も少なくなく、隅々まで浸透しないのが残念でなりません。今後は、高齢者(自分も含めて)が増えてきますから、そちらの対策も必要になってくるでしょう。

 私は、これまで、このマンションの資産価値を維持するために、いろいろな改善策を提案し、実行してきました。それについては、「我がマンション管理組合」において、後日、記事にする予定ですので、またお読みいただければ幸いです。一先ず、「私のマンション履歴」はこれにて終了いたします。