2022/02/22

はじめに

このブログは、「建築一般・マンション管理・身近な出来事や社会問題」を、建築士の視点から綴っています。
プロフィールの写真は、100年建築の私の生家です。
・・・よろしかったらご覧ください。

2021/04/25

第2回目の大規模修繕が見えてきた!

大規模修繕において不足金発生!

 本日(2021/4/25)、我がマンション管理組合の修繕員会が開催されました。第1回目の大規模修繕のときは、修繕積立金の範囲内で実施することができましたが、今回は、不足金が発生する事態となりました。

 資産価値の維持向上を念頭に、必要な工事に絞りましたが、建設物価の高騰等もあり、資金不足となりました。積立金に合わせて、一部の工事を先送りすることもできますが、余計な経費が嵩むことから、金額よりも工事内容を優先しました。

「責任施工方式」を採用

 発注方式については、いろいろと検討しましたが、小規模マンションであること、また、新築時から現在の管理会社へ修繕を委託してきたことから、管理会社の推奨により、「責任施工方式」を採用することにしました。この方式は、下請け工事会社から相見積もりをとり、その中から選定した会社の工事価格に、管理会社の監理費をコストオンさせるというものです。

一時金を徴収!

 不足金の資金繰りについては、修繕委員会で協議を重ねたきましたが、本日、全員一致により、一時金を徴収することで決定しました。一般的に一時金の徴収は、普通決議(過半数の賛成)で容易に成立しやすいものの、トラブルに発展しやすいことから敬遠されているようで、圧倒的に銀行ローンが多いとのことです。

 そのため、臨時総会に諮る前に説明会を開催し、一時金の徴収を含めて大規模修繕計画について説明し、皆さんの意見をお聞きすることにしています。いずれにしても、将来を見据えた修繕積立金の見直しをする必要に迫られているようです。今年の後半は、管理会社には任せて置けないことが山ほどあるようで、忙しくなることだけは間違いなさそうです。(少し憂鬱かな!)

2021/03/21

クラシックコンサートでのコロナ感染リスクは、ほぼゼロ!

クラシックコンサートは安全!

 先週、半年ぶり(昨年9月のみなとみらいホール以来)にミューザ川崎シンフォニーホールで開催された東京交響楽団による名曲全集コンサートに出かけました。前半は、ピアニスト藤田真央との共演もあり、迫力のある生演奏を久しぶりに堪能しました。新型コロナの入国制限により来日出来なかった指揮者のジョナサン・ブロクスハムに代わって、日本滞在中のカーチュン・ウォン指揮での開催となるなど、コロナ感染が収まらない中での公演とあって少し不安もありましたが、観客の皆さんが、スタッフの誘導に整然と従い、演奏前後も会話を控え、静かに鑑賞する皆さんの姿を見て、安心して一時を過ごすことができました。
2021.3.13 名曲全集ポスター   2021.3.13 ミューザ川崎

 販売予定のチケットは完売していたそうですが、観客数は700~800人(満席時の7~8割?)と聞きました。入り口では、マスクの着用、検温、消毒、非接触によるチケット切りなどが整然と間隔を空けて行われました。演奏中は勿論のこと、休息中であってもホールの内外において会話を控えるようアナウンスがあり、皆さん、良く守っていたと思います。これだけ人が集まっても、マスクをし、会話を控え、消毒を行っていれば、感染リスクは、ほぼゼロではないかと思いました。

ウイルスを飛散させない!吸わない!

 政府や自治体が、有効な感染対策を講じられない以上、我々国民が、自助・共助で感染対策をするしかありません。1年以上経ってもほとんど学習の成果が見られないし、ワクチンも発展途上国レベルですから。しかし、国を批判しているばかりでは自分の身は守れません。人の移動と密を避けることが最善策のように言われていますが、その根底にあるのは、ウイルスを飛散させない、ウイルスを吸わない(上気道(目・鼻・口)に付着させない)ことに尽きます。そのためには、不織布マスクを出来る限り隙間をなくして着け、他人と至近距離での会話(特に大声では)を避けることしかありません。そうすれば、上気道に付着するウイルスを減らせて、万一、付着しても、我々人間が本来持っている免疫力によりウイルスに対抗する(抗体を増やす)ことができます。そして、より安全のために、手の消毒と嗽を心掛けること、常に外気を取り入れ(換気)てウイルスを拡散(希釈)することです。

飲食店は、密にならないレイアウトと飛散防止板の設置、90分時間制限を徹底!

 若い人や基礎疾患のない人は、それらを心掛けていれば、日常生活においてはそれほど行動制限をしなくても大丈夫と思いますが、問題は、飲食店などにおいてマスクを外したときです。日本の飲食店は、テーブルが小さいうえ、間隔の狭いところが多いので、どうしても感染リスクが高くなります。しばらくは、テーブルを繋ぎ合わせるなどして、向かいの距離、左右の距離を長くし、アクリル板等で前・横を仕切るなどの物理的対策を図ったうえで、90分(酔い過ぎない程度)の時間制限を設けるのが良いと考えます。そして、大声でしゃべる客には店側が注意をし、客側は、そうしない店には行かないことが最も有効な対策ではないかと思います。自治体は、営業時間短縮を要請していますが、一人一人の飲食(飲酒)時間を制限する方が、より効果的だと思います。これからは暖かくなるので、屋外の積極的利用や扉・窓の開放も重要な感染防止策になります。

高齢者や基礎疾患のある人は、大声を出す人には要注意!

 ただし、我々高齢者や基礎疾患のある人は、出来るだけリスクを減らす必要があります。出かけるときには、マスクを身に着けることは当然ですが、他人と長く向き合わないこと、大声を出している人からは離れること、大勢の人が集まるところは避けることが肝要だと思います。ただし、専門家によると、大勢であっても外気に開放された場所での感染事例は無いとのことです。これから良い季節になりますから、散歩などを楽しみ、鬱にならないようこの非常事態をやり過ごしたいものです。

2021/02/21

世帯主制度の廃止と夫婦別姓選択の自由を!

女性蔑視発言」は森喜朗個人の問題ではなく、日本社会の根深い問題

 この数週間、東京五輪組織委員会前会長森喜朗氏の「女性蔑視発言」に揺れ動いた日本ですが、新会長に前五輪担当大臣の橋本聖子氏が登用されても、本質的な問題は何も解決していません。ただ、新会長に女性が着任されたということだけで、世界のマスメディアからの攻撃をかわしたに過ぎません。私は、これで良しとする日本社会全体が問題だと思います。それだけに問題の根深さを感じます。

世帯主制度の撤廃を!

 現代の日本社会は、法制度上は基本的に男女平等となっていますが、日常生活においては、男尊女卑の思想が、千年以上の長きに亘って国民の意識の中に受け継がれています。これを排除するためには、徹底した社会制度の見直しが必要ではないでしょうか!そうでなければ、人々の意識は未来永劫変わらないと思います。その最たるものが、家長制度に基づく世帯主制度です。これは、お父さんが一番偉くて、そこの家人を管理するといった封建制度の名残りだと思います。今回のコロナ禍においても、給付金が世帯主に支給されたため、特殊な事情を抱えた女性にとって問題となりました。このような家長制度の考え方に基づく諸制度を全て撤廃しなければ、国民の意識は変わりません。

夫婦別姓選択の自由すら決断できない日本!

 また、夫婦別姓の選択についても、久しく議論されてきましたが、一向に動こうとしません。兎に角、日本は何でも動かない。強い外圧でもなければ変わらない、変えられないといったように柔軟性に欠けています。失敗を許容できない国民の度量の無さがそうさせるのかも知れませんが・・・? 話が少し逸れましたが、こういった簡単なことから変えていかない限り、日本人の意識は変わらないのではということだけを申し上げたい。

2021/02/06

文章が書けなくなった日本人?

確かに日本語は難しい!

 私は、仕事柄、公用文を書く機会が増えました。今更ですが、この歳になって日本語の難しさを痛感しているところです。漢字、カタカナ、平仮名と文字の種類が多いのもさることながら、公用文には、使わない漢字や送り仮名、文章のスタイルにも一定のルールがあり、その確認に余計な時間と神経を使わされています。

日本人は、文章が書けなくなった?

 先日も、私の住むマンションの管理会社の担当者から委員会の議事録が送られてきて、内容の確認を求められました。その文章を読むと、単純な誤字もありましたが、基本的に、主語を意識していないため主語が入れ替わったりと、首を傾げたくなるものでした。語句が前後に入れ替わっていたり、廻りくどかったりと、読みづらくて言わんとすることが伝わってきません。その担当者には、失礼を承知のうえで、相当な部分を修正のうえ、変更履歴を表示したまま返送しました。

イラスト・アニメ大好き日本人!

 このようなことは、この管理会社の担当者に限ったことではありません。私の会社でも同じ様なものです。議事録、承認書、提案書などその多くの書類が、程度の差こそあれ、同じ様なものです。現代人は、本を読むことが少なくなったうえ、パソコンやスマホにベッタリの生活がそうさせているのではないかとよく言われますが、それだけではなく、何でもイラストやアニメを嗜好する風潮が日本社会に蔓延していることも原因ではないかと思います。

アニメは子供のもの!

 役所の創るリーフレットなどでも、「文章だけでは読んでもらえない。イラストで表現してほしい!」と、よく言われます。アニメが日本人の得意とする産業であることは理解しますが、電車に乗っても漫画本を読んだり、スマホでゲームをしたりする大人のなんと多いことか!決して、アニメを全て否定するものではありません。幼児期の絵本や、子供時代に読む漫画は、素晴らしいものも沢山あり、それは大切にする必要があると思います。ただし、大人になれば、本(文章)が人間を磨いてくれることが多く、また、本によって、会議やプレゼンテーションでも、自分の意見や主張ができるようになるのではないかと思います。日本では、形骸化した会議や、意見の出ない会議が多いのも、この辺りに原因があるような気がします。

2021/01/01

2021 年賀状

  2021正月飾り    2021 鏡餅

 明けましておめでとうございます。昨年は、予想だにしなかったCOVID-19(新型コロナ)により世界中が大混乱に陥りました。残念ながら、終息はまだまだ先のようです。日本では、初期の水際対策の不手際から市中感染へと拡大し、PCR検査では、定められた条件(症状)の人しか受けられないばかりか検査能力も低く、ウイルスの封じ込めに失敗しました。その間、一人10万円の支給はあったものの、安倍のマスクの配布が物語っているように、国民に対して「自助共助自粛」をお願いするだけで、右往左往しているようにしか見えない国・自治体のリーダーの姿でした。

 「自助共助自粛」を国民に要請し、少し鎮静化してくると、今度は時期尚早にもかかわらず、「Go to ・・・」で旅行や外食を国が補助金を出してまで奨励すると言った何ともチグハグな政策を実行したために、昨年末から感染拡大に歯止めがかからなくなっています。このような中途半端な政策を取っていると、かえって経済的にもマイナスとなりかねません。国は1100兆円以上もの借金を抱えながら、相変わらず赤字国債を発行し続けています。

 一方で、生活が困窮し、果てには自殺へと追い詰められている人が増加の一途を辿っているという現実を看過することはできません。新型コロナがなくても、人口あたりの自殺者数は、先進国でトップを独走しています。また、2010年時点の日本の相対的貧困率は、OECD34か国中29位の水準で、 「子どもの貧困率」は、34カ国中25位と既に先進国とは言えない状況にあったのです。多くの国民は、日本を先進国だと思っていると思いますが、現実は、日本はバブル崩壊から30年が過ぎる間に先進国から中進国へと陥落していたのです。いや、特定の分野では、発展途上国と言えるかも知れません。

 今回のコロナ禍は、日本の現実をまざまざと見せつけられたような気がします。ウイルスは、恐怖だけでなく、そのことを我々に思い知らせ、目覚めさせてくれたようにも思います。それが証拠に、新型コロナの人口あたりの感染者数が欧米の十分の一以下を大きく下回っているにもかかわらず、医療崩壊が叫ばれたりするのも、医療先進国と錯覚していたに過ぎないのではないでしょうか。世界に誇る国民皆保険の裏側で、そうした医療制度改革が行われていたことにマスメディアも国民も気付くべきだったのです。

 いつまでもGDP世界第3位というポジションにばかり目を奪われていては駄目なのです。GDPは、国民を幸せにしてくれるわけではないのです。我々国民は、GDPを積み上げることよりも、国民が幸せを感じる国にするためにどうすれば良いか、見直す時が来ていることを自覚する必要があるのです。

 松岬神社 鷹山像 
         【鷹山公を祭神とする松崎神社と神社前の鷹山公の像】

 昨秋、コロナ禍の落ち着いていた平日に米沢市を訪ねました。元アメリカ合衆国大統領のJ.F.ケネディが最も尊敬する日本人として名を挙げた「上杉鷹山(ようざん)」所縁の史跡を巡りました。江戸後期に、「自助共助公助」の思想を掲げ、「なせば成る…」あの名言を詠んで取り潰し寸前の米沢藩を立て直した名君です。

 今年は、衆議院議員総選挙の年、日本再建のため、迷君ではなく名君を選ぶ年にならんことを願いつつ、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2020/12/06

一に「自助」、二に「自助」、三四が無くて五に「自助」!

進まない「PCR検査

 国は、PCR検査を本気で拡充する気があるのだろうか?10か月経っても遅々として進まない!どんな抵抗勢力が居るのか?課題は何なのか?いや、その能力が現在の日本には無いのか?

右往左往の政府

 初期の頃から水際対策とPCR検査を進めていれば、今頃は、台湾と同様、ほとんど感染者が出ていなかったかも知れない!政府は、実直で真面目な国民性を頼みとして、マスクなどの行動変容と自粛のみでこの難局を乗り越えようとしている。その対応ぶりは、科学的論理的とは程遠く、右往左往と言った感じである。

自民党に殺される!

 そればかりか、感染拡大が予想されるにもかかわらず、人の移動を奨励するGo to トラベルGo toイーなどを展開しつつ、移動の自粛要請を出すと言ったちぐはぐで訳の分からないことをしている。アクセルとブレーキのペダルを同時に踏んでいるようなものだ。これでは、車(国)は持たない。エンスしてしまう。いや、既にこの国はエンス状態かも知れない。誰かが「自民党に殺される!」と書いていたが、本当にそうだ。

メンツ優先の政治家・官僚

 相変わらず一度言ったことは撤回できない。メンツばかりが優先されるこの国の政治家・官僚の体質がそうさせているのであろう。今回は、呆れたことに都道府県と国民にその責任を擦り付けようとしている。もう言葉もない!

一にも二にも「自助」、「公助」はありません!

 そうである以上、、自分の身は自分で守るしかあるまい。菅総理の言う「自助」しかない。一に「自助」、二に「自助」、三四が無くて五に「自助」である。「公助」はありません!

自民党自粛せよ!

 次の選挙では、今度は、自民党に「自粛」してもらうしかあるまい。しかし、困った。他に入れる政党がない!ああ、何と悩ましい限りだ。いつになったらこの国の国民は目覚めるのか?あきらめずに文句を言い続けるしかあるまい。

2020/11/03

上杉鷹山所縁の史跡を訪ねて(その5)

黒井堰の痕跡を訪ねて
 普門院を後にして、待っていてもらったタクシーで米沢駅に戻りました。何故、往復ともタクシーだったかというと、山形新幹線の開業により、特に米沢駅から上り側(奥羽本線)の列車が日中ほとんど運行されなくなっていたからです。
 米沢駅近くのビジネスホテルで昼食(もりそば)を取り、今度は、農業用水路「※黒井堰(くろいぜき)」の痕跡を訪ねて、下りの列車で次の置賜駅(おいたまえき)へ向かいました。
 黒井堰とは、鷹山公の時代に、水不足に苦しんでいた北条郷(米沢市北部から南陽市までの地域)に水を送るため、藩と農民が一体となって建設した水路のことです。

 山形田園風景  最上川
 【左 : 広大な田園風景  右 : 自然な感じの最上川流域】

 その痕跡が少しでも見られないかと思い、置賜駅で下り15分ほど歩いて最上川流域に向かいました。すると、川の東側に広大な田園地帯の美しい風景が目に飛び込んできました。山形らしい心安らぐ日本の原風景そのものです。河川敷には公園などが整備されてはいますが、大都市の川と比べてその自然さに雲泥の差があるなと改めて感じました。そんな中、最上川沿いに流れる黒井堰と推察される水路を見つけました。今では、コンクリート製に生まれ変わっていますが、現在でも利用されているようで置賜の田畑を潤しているとのことです。

    黒井堰-1  黒井堰-2
       【黒井堰 : 現在はコンクリート製に生まれ変わっています。】

※黒井堰 : 黒井堰とは、米沢の北部(北條郷)およそ770haの田畑に、総延長約32㎞にも及び建設された農業用水路のことです。北条郷は、領内で最も肥沃な土地でしたが、古来から水不足で干害に苦しめられてきたところでした。上杉鷹山公は特に心を痛められ、苦しむ農民を救うために、寛政6年(1794年)、黒井半四郎忠寄に普請奉行を命じました。半四郎は、寛政11年(1799年)、実に6年間にも及ぶ一大灌漑事業の末に水路を完成させ、北条郷は現在のような美しい水田になったそうです。この時、半四郎の偉業を末永く記念するために「黒井堰」と命名されたそうです。

久しぶりの贅沢
 この日の宿は、赤湯温泉にある上杉の御湯(みゆ)「御殿守(ごてんもり)」でしたので、置賜駅に戻り列車で赤湯駅(下り二つ目)に向かいました。旅館には予定よりも早く着いたのですがチェックインすることができ、旅館の資料室「時の倉」などを見学したり、露天風呂につかるなど、のんびりとした贅沢な時を持つことができました\(^o^)/。
 当旅館は、上杉家二代藩主の頃に創業して以降上杉家の別荘として三百八十年の伝統と格式を誇り、とりわけ上杉鷹山公は、赤湯を終生こよなく愛し来館したそうなので、私たちも訪れてみました。明治天皇の行幸はじめ政財界文人など各界の要人も数多く訪れているそうです。

 御殿守(米沢牛御膳)
 【米沢牛御膳】 写真は前菜、刺身、酢の物で、ほかにすき焼き、ステーキ、芋煮、米沢牛あぶり寿司など、もう食べきれません(T_T)!

 建物は、車寄せもなく、増築ゝでさほど立派でもないですが、内装は、改装して日も浅くシンプルで良かったです。特に良かったのはサービスと設備で、至れり尽くせりという感じでした。お風呂は、いくつもの露天風呂があり、湯質や湯温も満足でした。食事は、個室のテーブル席で落ち着いてゆっくり食べられ、コロナ禍にあっては安心で良かったのですが、食事の種類・量の多さにはいささか閉口しました。帰宅後、旅館からアンケート調査があり、「高齢者用に、質の良い、種類・量の少ないメニューがあれば幸いです。」と、お伝えしました。食品ロスが社会的大問題となっている今こそ配慮が必要だと改めて強く感じました。

旧高畠駅」を見学
 次の日、朝食を済ませ(朝食も少し残しました。)、庭などを散策し、チェックアウト後、タクシーで「旧高畠駅」に向かいました。この「旧高畠駅」は、上杉鷹山公とは何の関係もありませんが、私たちがよく見るテレビ番組の一つで、NHK BSプレミアムで放送されている「にっぽん縦断こころ旅」で、2016年5月に放映された「山形交通 旧高畠駅 駅舎」です。

 旧高畠駅-1  旧高畠駅-2
 【旧高畠駅 駅舎】

 この番組は、火野正平さんが自転車(俗称:チャリオ)で4人のスタッフを従えて、視聴者からの手紙に応じて「こころの風景」を巡る旅です。その時は、米沢の町が一望できる御成山公園を出発し、山形交通の旧高畠駅を目指しました。坂を下り、米沢の町中から最上川沿いの自転車道を進み、JR高畠駅の地図で旧高畠駅の場所を確認、ここからは線路跡の自転車道を進みました。そして、「旧高畠駅」に「とうちゃこ」しました。その廃線になった駅舎を見て、立派だなと印象に残っていたことから、今回、訪ねることにしました。

 旧高畠駅-3  旧高畠駅車両
 【左 : 旧高畠駅 駅舎  右 : 展示 旧山形鉄道高畠線車両】

 旧高畠駅廃線跡自転車道
 【山形鉄道高畠線の廃線跡 現在は自転車道】

 今回の旅の目的地は全て巡り、お土産を買うために高畠駅近くにある「よねおり観光センター」へタクシーで向かいました。そこでは、新鮮な果物や新米を調達することができ、昼食には、食べ納めとして、もりそばを注文しました。この「よねおり」という名称は、鷹山公が藩政改革の一環として藩士に奨励した織物業が明治以降「米織(よねおり)」の名で知られるようになったことが由来のようです。そして、高畠駅から山形新幹線にて一路東京へ帰りました。

 今回は、そのほとんどが上杉鷹山公所縁の史跡や遺跡、施設を訪ねた旅でした。仕来りや伝統を重んじる江戸(封建)時代にあって、学問、知識、良識、見識を備えた人は数多くいたと思いますが、これだけの改革を成し遂げるということは、大変なエネルギーと人望がなければ絶対に出来ない事だったと改めて思いました。口先だけの理論家は沢山いますが、人を動かす力がなければ何もできない、何も変わないのだということを気づかせてくれた旅でした。

2020/11/01

上杉鷹山所縁の史跡を訪ねて(その4)

 「興譲館」跡地に建つ記念碑を見学
 1日目は、「米沢城址公園」から「旧米沢高等工業学校本館」を経て、「上杉家御廟」を参拝しました。翌日の2日目は、朝食を済ませた後、ホテルのチェックアウトまで時間があったので、米沢藩の藩校「興譲館」の跡地に建立された記念碑を見学しました。「興譲館」は、鷹山公が上杉綱憲公(つなのりこう)の設置した学問所を再建したもので、鷹山公が師と仰いだ儒学者の「細井平洲(ほそいへいしゅう)」が命名したと言われています。この記念碑は、2008年9月に、市民有志によって建立されたそうです。

 興譲館記念碑 

立派な建物は公共もしくは公益企業!
 記念碑を見学した帰り道、米沢には珍しいシンプルモダンの建物が目に飛び込んできました。それは、米沢市立米沢図書館でした。この辺りは、米沢市の中心市街地の一角で、以前は賑わっていたと思いますが、今では、空洞化が進み、空き地・空き家の多い閑散とした街並みになっています。にもかかわらず、相応しない立派な建物には違和感を覚え、改めて、日本の地方都市の現状と課題を見せつけられた気がします。伝国の杜もそうだと思いますが、この図書館も国の交付金(又は補助金)で建てられたことが容易に推察されます。益々、中央にお金と権力が集中し、地方は、自治と分権が損なわれ、廃れていくのではないかと腹立たしささえ感じます。

 また、ホテル近くにあったモダン和風の立派な建物を見かけたので写真を撮ってきました。それは、山形銀行米沢支店でした。中央と地方との格差ばかりでなく、地方においては、公共公益企業と一般民間企業においても格差があるのではないかとも感じました。建物から全てを判断できませんが・・・ 

 特に、米沢市の場合は、1917年と1919年の二度の大火(米沢大火)によって、市街地のほとんどが灰燼に帰し焼け野原となったことで、市街地で現存する最古の建物は大火の後(昭和以降)の再建であって、観光資源となるような歴史的建造物が少ないことが街に潤いと豊かさの感じられない原因の一つとなっているかも知れません。

 米沢市立米沢図書館  山形銀行米沢支店
 【左 : 米沢市立米沢図書館  右 : 山形銀行米沢支店】

偶然、通りかかった「武者道」を散策
 記念碑を見学した帰り道、宿泊したホテルの近くで偶然通りかかった「武者道(むしゃみち)」を発見、散策しました。説明板によると、「武者道」は、江戸時代、下級武士たちが刀をささず、忍んで農作業や買い物などをする際に使用した道とのことでした。市内に何箇所か残っているそうですが、ホテル近くの武者道が整備されていて実際に散策することができました。

 武者道-2  武者道-1

国指定史跡羽黒神社普門院を参拝
 ホテルをチェックアウトし、タクシーで関根駅(米沢駅の隣駅(上り側))付近にある羽黒神社普門院に向かいました。昔は、羽黒神社普門院は一体のものでしたが、明治期の神仏分離で分離され、さらに、奥羽本線の開通により駅を挟んで向かい合うようになったそうです。関根は、福島から板谷峠(いたやとうげ)を超えた麓にあり、江戸時代の普門院は、参勤交代で殿様が休息する場所であったそうです。この羽黒神社普門院及び参道は、鷹山公が師と仰いだ儒学者の「細井平洲」先生を米沢藩に迎えた地として知られており、国指定史跡となっています。鷹山公は、平洲先生の到着が待ちきれず、この普門院で待っていて感激の対面を果たしたそうです。当時、殿様が城を出て客を迎えることなど慣例のない異例の事だったようです。



 羽黒神社本殿  普門院正門
【左 : 羽黒神社本殿  右 : 普門院正門】

 現在の本堂や庫裏(くり:住職の住まい)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に再建されたもので、茅葺屋根などに歴史を感じますが、傷みが激しく2008年(平成20年)から米沢市により保存修復工事が施されています。訪ねた時も、普門院本殿は修復工事中で参拝することはできませんでしたが、庫裏の工事が2019年(平成31年)に終了し公開されていたので、仮置きされたご本尊様を参拝してきました。ほかに来客もなく、ゆっくりと見学することができ、院の関係者の方からも詳しくお話を聞くことができ、心落ち着くひと時を過ごしましたo(^▽^)o。ご存知のように米沢は雪深いところですので、既に雪囲いの準備が進められていました。

 庫裏  鷹山・平洲像
【左 : 普門院 庫裏  右 : 敬師の像】

「火種組」
 雪囲いで思い出しましたが、鷹山公には、この先の板谷宿での有名なエピソードがに残っています。鷹山公が藩主になって初めて国許に入った時のことです。米沢領内最初の部落「板谷宿」に入り泊まる予定でしたが、年貢の重さに苦しんだ農民が逃げて、村は荒れ果て真っ暗でした。風雪の中、一行は焚火をして夜を明かしました。鷹山公は藩の惨状を目の当たりにしました。
 翌日、駕籠の中で煙草盆の灰を探っていると、ふと小さな残り火を見つけ煙管の雁首で息を吹きかけると、火は新しい炭に燃え移り、また赤々と燃え始めました。鷹山公は一行の足を止め、「さっきは消えそうになった火を熱心に吹いたらこのとおり熾った。これから行く米沢もこの炭火のように消えそうになっているが、君臣が心力を合わせて努力すれば、つらかろうがこのように盛んになるであろう。是非そうしたいものだ。」と言いました。
 それを聞いた家臣達は感動し、炭火を受け取り、それを一人一人が新しい炭に移しました。その後、この火種を分けてもらい改革に取り組んだ人々は「火種組」と呼ばれ、米沢藩の財政を立て直していきました。

2020/10/25

上杉鷹山所縁の史跡を訪ねて(その3)

上杉家御廟を参拝

 御廟-1  御廟-2
 旧米沢高等工業学校本館前からバスに乗って、米沢環状線を左回りに2㎞ほど北上したところにある『上杉家御廟』に向かいました。そこには、上杉家の菩提寺である法音寺に守られて、大杉木立に囲まれた広大な廟所に上杉家歴代藩主の御廟が整然と鎮座されていました。平日の夕方近くということもあって、私達のほかに参拝客はなく、静かにゆっくりとお参りすることができました。

 御廟-4
 【謙信公

 御廟-6  御廟-5
 廟所の中央には、初代謙信公が鎮座し、向かって左手に二代景勝公から十二代斉定公まで、右手に三代定勝公から十一代治廣公までが整然と並置されていました。歴代藩主の御廟が一つのところに並置されるのは珍しく、近世大名家墓所の代表例とされているらしい。国指定史跡に登録されています。

 御廟-3
 【正面:鷹山公  左奥:顕孝公
 十代治憲公(鷹山公)は左手端から三番目に鎮座されていました。本来であれば、二番目のはずですが、その左隣の少し奥に下がったところに、鷹山公の実子であり、十一代治廣公の嗣子養(ようしし)であった世子(せいし)顕孝公(あきたかこう)が19歳の若さで藩主となる前に亡くなったため、鷹山公が生涯で唯一我儘を言って御廟を建てさせたと言われています。

 一日目の史跡巡りはこれまでとし、米沢城址公園近くのホテルにバスで戻りました。ホテルのレストランは、夜は営業していないため、外で食べるしかありませんでしたが、営業している飲食店の少なさにちょっと驚きました。コロナの影響か?中心市街地の空洞化か?地方都市の衰弱化か?どれが原因なのかわかりません・・・?。幸いにも、ホテル近くの蕎麦屋さんが一軒だけ19時まで営業していたので何とか夕食にありつけました。米沢に行ったら蕎麦を食べたいと思っていたのでラッキーでした。